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ツキ・ヒ・ホシホイホイホイ [野鳥]

 全ては、これが撮れるかどうかだった。

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 WEB上の情報でここ連日の大阪城への飛来は確認している。
 この探鳥地の夏鳥の入れ替わりは激しく、今日行って出会える保証はないため迷ったが、昨年失敗しているのでリベンジを期し、足を運ぶ。
 昨日出現情報のあった記念樹の森や天守閣東側の配水池には鳥見の人たちはほとんど見当たらず。このまま引き下がるのでは何のために京都から足を運んだのかわからない。
しかし飛騨の森にはまだ居ついているという情報をある人から聞き、足を運ぶ。
 すでに砲列も出来ていて、おびただしい数のカメラマンが集まっていた。確かに、いた、サンコウチョウ。

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 ということで、しきりに飛び回るので捕捉は難しかったものの、何とかカメラに収める。大砲部隊と違って機動的に動けるのが高倍率ズーム機・手持ち撮影のメリットだ。

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 「三光鳥」という名前の由来となった「ツキ・ヒ・ホシ・ホイホイホイ」という声も時折聞かれる。
 今日はサンコウチョウのためだけに大阪城に行ったも同然だから、ともかくも鳥見としては成功だ。

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 一部花にかぶっているが、陽光で目が入っているのでこれがいちばんのお気に入りとしておこう。
 今春は大阪城には3度行ったわけだが、その都度オオルリのベストショット、コルリ、サンコウチョウと収穫はあり、幸い無駄足は一度もない。

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雫祭り! [写真]

 こういう日を待っていた。
 雨上がりの晴れた朝。休みの日にそうなることを
 天の授けた機会に頼るしかない雫のプリズム撮影にとって、久々に訪れた絶好機だ。
 この季節ならかなり早い時間帯からでも撮れるから、はや7時過ぎには、雫撮影のメインフィールド・比叡山梅ケ谷登山道に入る。
 まず、こんなところから。

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そして、同じ雫が変幻自在の煌きを放つ。それぞれの雫の、それこそ七変化をご覧あれ。

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 今回成功だったのは、「二連星」写真がいくつものシチュエーションで撮れたことだ。
 複数のプリズムを同時に画面に収めるというのは、前から撮ってみたい趣向だったし、これまでも何度かは撮れている。無数の雫があっても、宝石になるのはそのつどの瞬間、わずかだから、なかなかうまくはいかない。
 だが今回は、たくさんの雫が残っていたこともあって、これにも最適な機会だった。
 というわけで。

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 今日はさながら、雫祭りともいうべき日になった。
 世界には、誰にも気づかれぬままはかなく消え去ってしまう美しさが、数知れぬほど存在する。
 その一瞬の気づきを、写真を通してお届けすることができれば、それが私の望むことだ。
 写真というのは、瞬間をわかちあうためにあるのだから。他者とも、また未来の自分とも。

 鳥見も兼ねるはずだったが、バッテリーをフルチャージにして出発したにもかかわらず雫撮影にのめり込むあまりほとんどを使い切ってしまい、撮影は事実上断念。撮れたのは下山の折に残量を振り絞ってのセンダイムシクイぐらい。

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 オオルリ、キビタキ、サンショウクイ、ヤブサメ、ツツドリほか、夏鳥の声は至るところで聞けたのだが。

 今回は山頂まで登ったので、その眺望もこちらに。

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青い鳥 [野鳥]

 今日午前中大阪に所用があり、その足を伸ばして、大阪城公園へ。
 すでにネットで確認済みだが、夏鳥の渡来も始まっている様子だから。

 というわけで、オオルリが会心のショットで撮れた。

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別の止まり木で

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 まだ夏鳥の渡来も始まったばかりなので、このオオルリにカメラマンが集まるのも当然の成り行きだった。
 オオルリはカワセミなどと同様、撮影が日光の条件に左右されやすい。
 羽の青が構造色だからでもあるし、また、目の周囲が黒いから、写真に「眼が入る」かどうかが、日光しだいということもある。
 今回はその点でいいコンディションで撮れたようだ。
 開けた場所にいて、横方向に近い位置から撮れたのもいい。

先の会心作のシチュエーション、向きを変えてこんな風にも。

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 やはり、オオルリには新緑がよく似合う。

 せっかくなので、この間休みだった日に撮れた雫のプリズムも。

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森と街と梅の雫 [写真]

 昨日の雨で森に水滴が残っていることを期待して、朝、雫プリズム撮影のメインフィールドの比叡山登山道へ。
 しかし、雨が上がって時間も経過しているからか、残っている雫は少ない。
 この季節は空気が乾燥しているうえ、木の葉が落ちて風が吹き抜けやすいため雫もすぐに落ちてしまい、なかなか雨の翌日でも撮影チャンスにならない。

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 雫がわずかに残っていた杉の木で、これが撮れた程度。すぐに曇り、光源が陰ってしまったのでそれ以上は撮影できず。

 とはいえ、午後に街中に赴いた際、通り雨があってその後に一時的に日が射したので、ゲリラ的に撮る機会も得ることになった。
 撮影場所を選べる状況ではなかったので、三条周辺で。鴨川沿いの、開花はまだ遠い桜の木で、だ。

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 道行く人も多い中での撮影だったが、人々からは、私が何にカメラを向けて撮っていると思っただろうか。

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 一瞬だけのものとはいえ、宝はこんなところにも散らばっていることに、気づく人はそうはいないか。

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 雫のプリズムはなかなかだが、バックが悪い。

 また通り雨になり、あるいは、と思って御苑に足を運ぶ。いくらか濡れつつ着いた時には晴れ上がっていた。
 とりあえず、梅と合わせてのプリズム撮影も成った。

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 とはいえ、青い光がうまく撮れなかったのが心残り、紅葉のときもそうだが、白梅でも紅梅でも、青い光の雫なら最高に映えただろうと思うと。

 ついでに、この季節ならではの梅にメジロ。

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雪融けのプリズム 今日も [写真]

 何はなくとも、ここは会心のショットから。

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 京都は昨日に続く厳しい冷え込みで、雪もかなり残っているから、今日も撮影チャンスはあるだろうと踏んだ。
 ということで、今日も撮れた雪融けのプリズムの写真を特集。
 今回は雫撮影のメインフィールドである比叡山・梅ケ谷登山道に赴く。
 登山口手前で撮ったものから、まず。

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 そして登山道に入って間もないところで、冒頭の写真が撮れたというわけだ。
 雪が降っていたわけではなく、木々に積もっていた雪が舞い散った結果なのだが、偶然が思わぬ光景を演出してくれた。

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 「赤い紅葉と青い雫」以来、私の雫写真の「代表作」がもう一枚、できたと思う。
 ほか、定番の杉の樹で、青い雫もいくらか。

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 昼前から曇りがちになって太陽が陰ったので引き上げたが、厳寒のなかの撮影は、とにかく身体が冷える。手袋越しではシャッターボタンの半押しなどができないから撮影時は外さざるを得ず、その点でもきつい。
 とはいえ雫のプリズムともなれば、私の撮影への情熱のほうが勝つのも、また事実だ。
 ここのところ三寒四温状態、冬も終わり近いが、今冬のうちに雪とのコラボでプリズム撮影ができたのも、また、満足のゆくところだ。
 梅や桜の花びらとともに…というシチュエーションは、果たしてできるだろうか。

雪融けのプリズム [写真]

 寒波は繰り返し訪れているとはいえ、今冬では珍しい京都の本格的な積雪。
 ごらんの通りの雪景色がわが家の近くでも。

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 ということで、いままでなかなか撮る機会がなかった写真の撮影に。
 私の写真のメインテーマの一つである「雫のプリズム」を雪とともに撮る、というものだ。というわけで、今回は宝ヶ池公園をフィールドに選ぶ。

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 とはいえ、そううまくいくものでもない。
 何より、晴れては曇り、雪が降り出し、また晴れては…を繰り返すのがこういう日の京都にありがちな天気。
 光源としての太陽が陰っては、もちろんプリズムにならない。
 しかも、酷寒の戸外で日が射すまで待つのは、とにかく厳しい。撮影時も、手袋越しではなかなかカメラも操作しにくいから、素手にするとこれまた堪える。
 そして、いざ光が射しても、いつもの雨上がりのときと比べても撮りにくい。まず、的が絞りにくい。
 また、融けた雪が上から落下して狙った水滴を落としてしまい、被写体が台無しになる、ということも何度か。
 撮れたものでも、これ自体は雪融けの雫なのだが、雪とともに映っていないとあまり意味がない。

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 という状況だったが、何とかモノになるものは撮れた。

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 雪融けの雫の七色の変化をご覧あれ。

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 雫のプリズム写真は季節を問わず撮れるが、どんな情景と合わせるかによって、季節ごとの趣も異なってくる。
 紅葉、枯葉と、秋らしいものと取り合わせたものに続き、雪とのコラボで冬らしく、というわけだ。

 ことのついでに、鳥たち。
 ダイサギと雪とどっちが白いか。

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 オシドリの雪とのコラボ。

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 雪中のコゲラ。

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 そして、高野川でのカワセミだ。

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赤い紅葉と碧い光の雫 [写真]

 こちらで最近たびたび特集している、雫のプリズム。
 季節柄、紅葉と組み合わせて撮りたい、とは前々から思っていた。
 それが今日、撮れた。

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 赤い紅葉に碧い光の雫。このコラボは何とかこの秋のうちに撮りたかった。
 とはいえ「雨上がりに晴れた朝」でないと難しいと思っていたが、今日、本来は紅葉を横目に通り抜けるだけだった南禅寺で、雨の翌日でないにもかかわらず雫に濡れた紅葉の木。

 そういうわけで、こんなふうに光をつかまえることができた、というわけだ。

 同じ雫も、少し角度を変えれば色違いになる。

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 こんなのも。

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 再び碧い雫に。

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 露出をマイナス補正するとこんな感じ。

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 先日プロの写真家の方から、露出をマイナスにしてみたら、というアドバイスを受けたが、なるほど。
 紅葉の赤を深くするために露出をアンダーにするのは定石だが、雫の光も、深みを増したように見える。今後も工夫できるところだろう。

 せっかくなので、紅葉とエナガのコラボも。

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 余勢を駆ってというか、草露でもプリズムが撮れる。

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 ほんの一瞬だけ、宝石に変わる雫たち。その瞬間をとどめていくのに、趣は尽きない。

 ご訪問いただきありがとうございました。

小川仁司『超訳「哲学用語」事典』、そして哲学コミュニケーション。 [学問・研究]

 久々にこういうテーマで書こう。
 小川仁志『超訳「哲学用語」事典』



 つい先日、PHP文庫から出版されたばかりの本だが、昨日書店で手にとって目を通し、即、買った。
 何より、「よくぞやってくれた」と思う。本書のコンセプトには大いに共感だ。
 哲学用語を、恐ろしいまで簡単な言葉に言い換え、おおざっぱにでもその意味を理解できるようにした「哲学事典」。従来の事典が、用語の説明にまで専門用語が使ってあって、一般の人が読んでもわかりにくいことが多いのとは対照的だ。
 たとえば、「アンチノミー=どっちも成り立つこと」「ニヒリズム=一切の既成の価値を否定する立場」「減少額=無心で頭に浮かんだものの中にこそ真実があるとする考え」といった具合。

 著者の小川氏も不正確さは百も承知だ。専門家の視点からは当然異議もあるだろうことは認めつつ、「普通の人が、大づかみに哲学の用語を理解できるようにする」ことを最優先に、あえてぶっちゃけた言い方にしている。厳密さよりも、一般の人に意味が伝わることが大事だからだ。
 こういうコンセプトで哲学用語を、ひいては学術用語を伝える本というのは今までになく、哲学を開かれた、万人のものにしていくうえでも画期的だ。一般向けの哲学書をこのところ立て続けに出している小川氏は、いわば「哲学コミュニケーター」の役割を果たしていると言っていいが、そのなかでも今回の本は出色だと思う。「この事典の編纂は、明治以来の大仕事」(「はじめに」より)というのも、あながち大げさではない。
 その意味でも、「厳密性に欠ける」といった類の、「学問の論理」からの批評が出るとしても、それだけでは完全に筋違いになるだろう。

 私自身、小川氏の「超訳」的な流儀は自分の授業でも以前から使っていて、やはり厳密さを犠牲にするのを承知で「実存」を「現に生きているかけがえのない自分の存在」とか、「限界状況」を「人間が人間であるかぎり超えがたいこと」、「汝の意志の格率が普遍的立法となるよう行為せよ」を「みんなが真似しても構わないような行動原理に立て」などと説明したりしている。哲学でなく社会学の用語だが、ウェーバーの行為類型論について、「目的合理的行為=得だからやる」「価値合理的行為=正しいからやる」「感情的行為=好きだからやる」「伝統的行為=今までどおりにやる」と思い切りぶっちゃけた言い方にしたこともある。大雑把にでも意味が伝わり、受講者が「使える」言葉になるのが大事だと考えるからだ。
 そういう意味でも、大いに共感、ある意味では「先を越された」という思いもある。
 私自身、まだ出版のあてはないが、独自のコンセプトで哲学入門を準備しているところなのだ(今の時点では、内容は企業秘密)。

 もちろん専門用語を平易な言葉で言い換えるわけだから、著者による「解釈」が入る。ことの一面しか伝えていないように感じられるものもあったし、それこそ、私だったら別の言い方で「超訳」したい、という用語もいくつかあった。
 たとえば「実存主義」を、小川氏は「自分で人生を切り開く行き方」と「超訳」している。私なら「今ここに生きている、かけがえのない自分の存在にこだわりぬく生き方」とでもするだろう。私自身の講義ではそのように説明している。他の人なら違ったしかたで説明するかもしれない。
 そういう意味でも、「哲学用語の超訳」は、それこそ明治以来の大事業といっても過言ではないし、路線自体はまったく間違っていないと思うが、今立ち上げられたばかりのことだと思う。

 ちなみに「専門用語」の扱いについては、私は小川氏とは考えが異なる。小川氏は「本当にそんな難解な用語を使う必要があるのか? もっと簡単な言葉に言い換えられないのか?」と述べているように、専門用語の存在意義自体に懐疑的なようだ。だが私は、専門用語には固有の意義があると思っている。
 限られた専門家だけが使いこなせる専門用語だけで哲学を語ろうとする姿勢に異議があるという点には、まったく同感だ。
 ただ、だからといって専門用語をまったく捨て去る必要があるとは思わない。それは、「日常語で言い表したらとても長たらしくなる内容を、簡潔な表現に込めてくれる」という役割があるからだ。
 試しに、専門用語をぜんぶ排し、小川氏の「超訳」だけで哲学を語ろうとしてみたら、正確さは度外視するとしても、ものすごく長たらしく、まわりくどい言い方にならざるを得ないだろう。「形而上学」と言えず、「自然の原理を度外視して考える学問」、「功利主義」と言えず、「行動原理として快楽や幸福を重視する立場」としか言うことしかできないとしたらどうなるだろうか。これではまったく思考の焦点が定まらなくなりかねない。
 そんなとき、手短な言い方で言い表せれば、ズバリと焦点が定まる。専門用語は、そのためにこそ存在しているのだ。その意味で、「日常語だと複雑な言い方になる内容」に対する、略記記号といってもいい。
「その気ならいつでも簡単な言葉で言い換えられる」という条件でなら、専門用語を使うことはむしろ大いに有意義だろう。語る相手によって、そのつど平易に解説を加えればいい。
そもそも、特別な用語というのは、その言い方がなければ見えてこないような発想、ものの考え方を可能にしてくれる。そういう「言葉」を得てこそはじめて、新しい視点が開かれたり、あるいは取り留めのなかった自分の考えを的確に言い表せたりすることは少なくない。私の研究テーマの一つで言えば、「スピリチュアリティ」だってそういう用語のうちだ。
思考を広げ、深めるためにも、専門用語は捨てたものではない。

 「難しそうな用語の意味を伝える」ということだけに力点が置かれて、その用語―に込められた考え方―を使ってものを考えてみる、という一歩先まで進んでいない。この点が、この事典のひとつの限界かと感じた。
 そういう限界も踏まえて、こういう「哲学コミュニケーション」の努力は進めていくことが必要だと思う。

 ちなみに、これに関わる私の仕事の一つとしては、高校生による哲学思考のコンクール「国際哲学オリンピック」の日本委員がある。すでに今年度の予選募集も始まっているので、こちらを参照。

http://www.keiwa-c.ac.jp/ipo/4_on_line_doc/jp/pde033_4_on_line.html

二条城の常連客 [野鳥]

 鳥見の毎年の楽しみとして、「同じ場所にやってくる鳥」を観るというのがある。渡り鳥で、しかも数が限られているとなると、なおさら興味をそそられるところだ。
 京都だと、夏鳥なら御苑のアオバズク。冬鳥なら宝ヶ池のオシドリ、などだ。
 そして、あまり知られていないようだが、二条城の堀に毎年やってくるのが、ハシビロガモだ。



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 決して数自体が少ない鳥ではないが、京都では他ではなかなか見られず、特に市街地で見るならこの二条城をおいてないと思う。

 鴨川などではほとんど見られないのも、「幅広い嘴で水ごと吸い込み、濾しとって採食する」生態が、流れのない水に向いているからだろう。二条城の堀が特に好みらしい。

 ということで、今年も会えた。

 そして、鴨川ではだんだん増えてきた冬の風物詩・ユリカモメ。

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 岡崎疎水・冷泉池に今年も来ていたヨシガモ。カモのなかでも美しさが際立っているだけに今年もここで会えてよかった。

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秋色と雫の宝珠 [写真]

 雫の宝珠。水滴がプリズムとなって、宝石の輝きを見せる一瞬。
 最近連作のように撮っているこのテーマは、もちろん季節を選ばない。
 木々を飾る水滴と、陽光があればいい。
 けれども、季節を感じさせるものと合わせることはできる。

 昨日が雨がちの天気、今朝は晴れ。久々に好機か、と期待しつつも、それほどの雨ではなく、夕方には降り止んでいた以上、雫が残っているかどうかも気にかかる。
 ともかく、この季節となれば紅葉とのコラボで撮りたくて、自宅から近場の曼殊院方面にまず足を運ぶ。

 雫は確かにまだ満ちあふれていた。
 近くの木で撮れた、紅葉とは関係ない一枚。青が鮮やか。

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 ただし、今秋は気温も高いせいかそれほど紅葉の色づき具合はまちまちで、赤く色づいた紅葉では、どうしてもプリズムに輝く雫を見いだせず。
 さしあたり、撮れたのはこのぐらい。

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 やや紅葉の色とかぶっているか。

 ということでこちらで紅葉と合わせて撮るのは切り上げ、メインフィールドの比叡山梅ヶ谷登山道へ。
 こちらも雫に濡れた木はいっぱい。
 まず定番の杉の木の雫。

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 そして、色づききらない紅葉で。

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「真っ赤な紅葉に青い雫」というコントラストが理想だが、今回はそれは実現しなかった。この秋のうちに機会があればこの取り合わせで何としても撮りたいところだ。

 わずかに色づいた葉が残る枝で煌く宝石。色を変幻自在に変えていく。


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 季節を感じさせるものとのコラボで雫写真の表情も増す。
 冬の雪解けの雫や、可能ならば桜とのコラボというのもいずれは、狙ってみたいところだ。

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